・月刊『あいだ』とは
月刊『あいだ』とは (1)
月刊『あいだ』は美術のミニコミ雑誌だ。
なぜ,<あいだ>なのか。
この誌名には,それなりの由来がある。
(3)をご覧いただきたい。
それでは,
月刊『あいだ』は,
美術のどういう雑誌なのか。
これについても,あえて語ることをしない。
とりたてて,「編集方針」というほどのものもない。
美術かくあるべし,などと思うわけでもない。
月刊『あいだ』は,マニフェストを嫌う。
少なくともいまの月刊『あいだ』は,
けっして<運動体>ではない。
とどのつまり,月刊『あいだ』は,
美術をめぐる言葉の,
言葉としてすくいあげられる美術の,
ほんのささやかな<乗り物>にすぎない。
読者をエネルギーとして,なかば自走する<乗り物>なのだ。
ただ,この<乗り物>は,
動きだし,いま現に動いている以上,
できることなら動きつづけたいと思う。
月刊『あいだ』とは (2)
*月刊『あいだ』は市販されていません。
*月刊『あいだ』は定期購読をお申し込みいただいた方に
発行のつど郵送いたします。
*月刊『あいだ』はA5判(B4判2つ折り重ね綴り),
黒1色,簡易デジタル印刷です。
*月刊『あいだ』のページ数は一定しておりません。
*月刊『あいだ』の発行日も一定しておりません。
表紙には名目上,その月の「20日発行」と表示していますが,
じっさいには毎月最終日曜日の制作・発送が常態として定着
してきています。
*月刊『あいだ』は会員(定期講読者)講読代だけで発行が維
持・継続されています。
*そのために,本誌へかかわり(寄稿・編集・制作)はすべて
報酬や代価なしでご協力いただいています。
*ご寄稿のほか,制作・編集(テープ起こし/取材/翻訳/校
正など)でご協力いただける方をつねに求めています。
月刊『あいだ』とは(3)
月刊『あいだ』が自分史を語ろうとすると,
いくぶんややこしくなる。
前後左右,いろんなことを触れなければならない。
月刊『あいだ』のはじまりは,
「美術と美術館のあいだを考える会」のニューズレターだった。
「美術と美術館のあいだを考える会」について語るためには,
まず富山県立近代美術館問題のことを述べておかなければならない。
それは「問題」というよりも「事件」と呼んだほうがいいかもしれない。
その,より詳しい経過は,末尾の註を参照していただだきたい。
それは,ひとことでいえば,
美術館が自館の所蔵作品を外部の圧力に屈して手放すという,
あってはならないはずのできごとだった。
作家の尊厳をふみにじり,
鑑賞する側の「みる権利」を奪う暴挙だった。
地元市民らを中心に,抗議の声と行動が展開された。
ついに「問題」は,法廷に場が移された。
事件発生の1986年から,
裁判のうえでそのいちおうの決着がつけられる2000年まで
およそ15年間。
それは美術界をおおう暗雲だったはずである。
さて,「美術と美術館のあいだを考える会」が発足したのは,
この「問題」が提訴されるまえ,1994年春だ。
裁判のなりゆきを見まもりながら,
この国の美術館,とりわけ,高度成長期に
競うように地方自治体でつくられた公立美術館,
それらがかかえるさまざまな問題に検証の目をそそごう,
というのが目的だった。
いや,それほどおおそれた会ではない。
地元富山の動きに合流,あるいは伴走する,
ほんのささやかな,十数人のグループ。
メンバーは作家や学芸員,大学教員,ジャーナリストたち。
で,メンバーが富山,東京圏,名古屋とバラバラのため,
つなぎの媒体がほしい,と事務局が思いついた。
こうして発行されはじめたごくお粗末な体裁のそれは,
何号目からか,『あいだ』と称するようになったのだった。
ようやく冒頭に戻る。
この,ニューズレターとしての月刊『あいだ』は,
あろうことか,身のほど知らずにも—–というべきだろう—–
せっかくつくるのだから,
「美術と美術館のあいだを考える会」のメンバー以外の
ひとびとにも読んでもらいたくなった。
そこで,思いきって定期講読の読者を募りはじめた。
20号((1997年8月発行)から。
したがって,これが月刊『あいだ』の,
事実上の創刊となる。
もっとも,当初は,『あいだ』ではなく,
『あいだEXTRA』と名づけられていた。
なぜ,「EXTRA」か。
このあたり,奇妙に入りくんでいる。
じつは,月刊『あいだ』には,もうひとつの前身があった。
話は少しさかのぼるが,
「美術と美術館のあいだを考える会」が発足してまもなく,
富山市の出版社・桂書房から,
雑誌『あいだ』という雑誌が立ちあがってがっていた。
れっきとした本格印刷による。
編集はやはり「美術と美術館のあいだを考える会」。
季刊をもくろんでいた。
桂書房の代表者が会のメンバーで,
編集の心得のある事務局長にもちかけたのだ。
もとより,採算は度外視。
1号(1995年)では,
全国の美術館学芸員からアンケート形式でコメントを求めた。
「富山問題をどう考えるか」
匿名をふくめ,23人から回答を得た。
だが,この桂書房版『あいだ』は3号雑誌にもいたらなかった。
版元の好意にもかかわらず,翌年の2号(1996年12月)で頓挫した。
出版社の刊行物という「形式」に,
ひとり体制というほかない編集側が追いついていけなかったのだ。
つまり,月刊『あいだEXTRA』の「EXTRA」は,
フットワークが軽く小回りのきくジャーナルとして
本体の桂書房版『あいだ』を補完する意味合いをもっていた。
月刊『あいだ』が誌名から「EXTRA」をはずすのは
32号(1998年7月発行)。
それまで,桂書房版『あいだ』は,
少なくとも編集者の頭のなかには幻としてあったのだ。
こうして,月刊『あいだ』が「本体」となった。
2000年10月,訴訟は最高裁決定が下って原告側の全面敗訴。
「美術と美術館のあいだを考える会」は,
これにともない,その活動を「凍結」した。
だが,月刊『あいだ』は,発行をやめることはなかった。
母体を「『あいだ』の会」と変えて,生き残った。
『あいだ』の会?
いや,月刊『あいだ』を支えてくださる,
読者(購読者)の総体をいうにすぎない。
会員,すなわち購読者なのだ。
で,月刊『あいだ』は,
いわば,それ自体として走りはじめたのだった。
まさに,「あいだ」という接続助詞だけの,奇妙な乗り物として。
行き先も,定かならぬままに。
68号(2001年8月発行)からである。
だが,ほとんどなりゆきまかせのようなそのたどたどしい行程にも,
後ろには,確実にわだちが残る。
月刊『あいだ』は,10年以上にわたるその痕跡をもって,
じぶんの存在の証しとしたい。
それだけだ。
月刊『あいだ』は,印刷方式を向上させるとか,
発行部数の増大をめざすとかいった,
いわゆる経営的な意味での「成長」を望まない。
しょせん美術は,社会の片隅でひそかになされる営みではないか。
それをあつかう媒体が,身のほどをこえてはしゃいでみても,
それで何になろう。
*富山県立近代美術館問題
1986年の富山県立近代美術館「’86富山の美術」展に
招待出品,のち同館が収蔵した大浦信行の版画連作「遠近を
抱えて」が,昭和天皇肖像写真と女性のヌード像などと組み合
わせたコラージュだったため県議会で問題化。右翼団体などの
圧力をうけて知事は陳謝,美術館は同作品を非公開とした。
さらに美術館は,市民の度重なる特別観覧請求にも応じよう
としなかった。
1990年からは,地元の市民と公開を求めるグループが中心
となり,「作品と図録の公開を求める」署名活動を展開した。
表現に関わる市民が,アンデパンダン展「表現の自由を考え
る有志展」(1991年8月,富山市民プラザ)を企画したが,
富山市から会場の使用許可を取り消しにされた。主催者は,
富山地方裁判所に仮処分申請を提出,和解を経て開催に至った。
さらにその後,1993年には,美術館は大浦作品を一私人に
売却し,図録残部470冊を焼却処分にしていたことが発覚した。
この図録には,同展の出品者30名の出品作の写真が掲載
されている。
1994年9月,大浦をふくめた県内外の有志35名が,
大浦作品の非公開措置と作品売却.図録焼却は,
「知る権利・みる権利」を侵害したとして知事・教育長を相手に
国家賠償請求を提訴。
富山地裁判決では原告側が一部勝訴したものの,金沢高裁の
控訴審判決では全面敗訴。2000年10月,最高裁は上告を棄却し,
控訴審が確定した。
(以上の記述は『裁かれた天皇コラージュ–富山県立近代美術
館問題全記録』,富山県立近代美術館問題を考える会編,
桂書房,2001年に多くを負う)